中国語翻訳

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北朝鮮レストラン2

佐藤と李君が話し合っているとき、李君は北朝鮮の従業員が小さい声で李君のことを話し合っていることに気付いた。
「ハンサムだね。俳優さんみたい。」
「付き合ってみたら。」
「無理、無理、そんなできるわけないでしょう」
この時は客も少なかったので、カウンターに集まって小さい声でつぶやく彼女たち。多分、彼女たちは李君を普通の中国人か日本人で朝鮮語が分かるとは思っていなかっただろう。従業員がお客様のことを議論してはいけない。たが、李君はこの言葉が嫌いではなかった。ていうか、美女にこう言われるとドキドキする。あまり信じられないけど、李君はまだ恋愛経験がない、とても純粋な若者だった。大学で李君のことが好きな女の子は多かったけど、李君は勉強だけに集中していた。李君は田舎から北京の一流大学に進学し、田舎にいる両親の苦労をよく分かっていた。李君の両親は李君が良い成績で大学を卒業し、一流企業に就職することを望んでいた。この時、佐藤は李君のこういった思いを知る余地もなかっただろう。

李君の顔は赤くなっていたが、ビールをかなり飲んでいたので、佐藤も気づかなかった。佐藤と別れて、単身社員の寮に戻って、李君はパソコンを開いた。


寮ではテレビを見るより、パソコンで新聞を読むときが多かった。李君は朝鮮族で幼い頃から朝鮮語が喋れるので、ハングルも読める。朝鮮語と韓国語は表記法が微妙に違うだけで、言葉としては同じであった。また、李君は英語も上手で、常にアメリカのニュースサイトもチェックしている。


李君が日本語が上手なのは、大学にかよう時、ペンパルとして付き合っていた日本人女性の支援が大きかった。
李君が大学二年生の頃、島根県の女子短大の数名の女子学生が海外研修の活動の一環で李君の大学にやってきたのである。彼女の名前は「香恵」であった。大学の食堂で、彼女が明るく笑いながら李君に「私の名前は香恵です。(縁有れば千里も来たりて相会い)の発音の(恵)です」と話した風景を李君は鮮明に覚えている。香恵と会う日も暑かった。彼女がレストランで料理を注文するときに、一生懸命に中国語で喋る風景をみて、李君は助けてあげたかった。それをきっかけに出会い、仲良くなった。


ちょうど、中国にいる間に香恵の誕生日だったので、李君は誕生日のケーキをプレゼントした。香恵の友達と一緒に、ケーキを食べて、バースデーソングを歌い、「海よ故郷 」を熱唱した。


香恵が日本で戻ってから李君と香恵はペンパルとしてつきあった。香恵は「私のふるさとは美しい自然環境に恵まれた町です」と書いて、写真も一緒に送ってくれた。香恵は幼い頃に、中国語の放送を聞き、中国語を歌のように美しく感じたそうだ。二人は、語学について、幸せいついて、中国と日本の過去などについて、いろいろ話し合った。李君は幼い頃、田舎の貧しい家で育ったので、一流大学に入って卒業後には、一流企業に就職して金持ちになりたいと思った。「金のない生活は惨めだ」と思っていたのであった。香恵は返信で「幸せを決めるのは決して金ではないです。人の心です」と話してくれた。


多分、その時、李君は香恵にいろんなことが話したくて、もっと日本語の勉強に熱心だったかも知れない。言葉は視野を広げられる重要なツールだと李君は思っていた。一つのことに対して、中国、日本、韓国、アメリカなどの各国のメディアが様々な立場で報道しているし、その報道内容も微妙に違ったりして、ネットユーザの反応もさまざまである。だから李君はニュースを読むのが楽しかった。(続く)